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新型コロナウイルス感染症対策としてホームページでの礼拝のプログラム、メッセージを掲載は継続します。こちらをクリックしてください(6 月13 日分)。尚、ZOOMでの礼拝も可能です。希望の方はメールかお電話にて連絡ください。

週報 2021年6 月13日 No 1362 (34-24 )


6 月2聖日

讃 美① イェスはわがすべて(36)

開会祈祷

主の祈り

信仰告白 使徒信条

聖書拝読  ヨハネ4章1~15節(新約181)
     「真の渇きを癒す水」
               牧師 川村和臣
      
讃 美② 長くも求めし(309)

感謝の祈り

献  金

報  告

頌   栄  父・子・聖霊の(271)

黙  祷

(271) 父・子・聖霊のひとりの主よ  *は起立

栄えと力はただ主にあれ とこしえまでアーメン

※献金は任意です。来会の際、まとめてお持ちください。

報告は最後に掲載します
メッセージ  
「真の渇きを癒す水」
ヨハネ4:1~14

先日から急に熱くなりました。先週は秋田で34度近くになったようです。越谷でも30度を超える日が続きました。また熱中症で体調を崩す方々もおられるようです。毎朝、教会の玄関を掃除しています。この時期になりますと朝日が、直接、当たります。じりじりと皮膚に当たってとても暑く感じます。主イエスがおられたイスラエルの地も昼間は大変、暑い地域でした。その真昼の暑い最中、主イエスがある女性と対話されたのが今回の箇所です。
今日の舞台はサマリヤです。主イエスは旅をしながら、神の恵みを伝えておられました。その時、このサマリヤを通られました。ここも荒野が多く、暑い地域でした。主イエスはユダヤ人でしたが、当時、多くのユダヤ人たちは、このサマリヤの人々を差別していました。そこにスカルという町がありました。旅の疲れを覚えた主イエスは、その町の井戸のそばで休んでおられました。そこに一人の女性が水を汲みにきました。時はおよそ6時ごろとあります。当時の6時頃とは今の正午に当たる時間です。つまり1日で一番、暑い時間帯です。普通、水汲みは涼しい、朝か夕方が一般的でした。彼女は人目を避けるように井戸に水を汲みに来たのです。
その女性に主イエスは水を飲ませてくださいと、頼みます。サマリヤの女性はユダヤ人である主イエスが自分に頼むのを不思議に思います。その女性に主イエスはさらに不思議なことに語られました。10節の「生ける水」ということです。この「生ける水」は、すべての人に本当に必要なものです。そのことをこの朝は見てみましょう

●私たちには三つの渇きがある

人には三つの渇きがあります。まず、肉体の渇きです。水は大切です。私たち人の体は水を求めて渇きます。人間が一日に必要な水分は2000から2500ミリリットルだと言われています。1リットルのぺットボトル二本分ですので結構な量です。また生活にも水は欠かせません。この女性もそのために水を汲みに来たのでしょう。
もう一つは心です。心が渇くのです。先日、ラジオで興味深い話を聞きました。人のつながりと健康、ということで、ある研究者の方が話をしていました。今、コロナで親しい人と会えない、ということが続いています。ですが、その方によると「帰省は健康にいい、風邪にも強くなれる」ということでした。というのは、人は自分の親しい人と話したり交流したりすると、ある物質が脳から出てくるそうです。それが出てくると人は幸せを感じて健康なれる、風邪にも強くなれる、というものです。専門的なことはわかりませんが、確かにそのようなことがあるかもしれません。ですが、現実は、今、そのつながりを持つことができていません。実際、私たちも昨年から実家に帰省していません。すると、人の心がますます渇いてくるでしょう。この女性は16~18節を見ますと、次々と別の男性と暮らしていたようです。その意味でも心が渇いていたのでしょう。
ですが、最も人が気を付けなければならない渇きは、神との関係における渇きです。霊的な渇き、とも言えます。人の渇きの根幹は神との関係です。人とのつながりがないと心か渇いてくるように、神とつながっていませんと、心の奥底が渇く、霊的な渇きを体験します。その心の空洞を満たすものが主イエスの与える「生ける水」です。ここ真の渇きの癒しがあるのです。
 
●主イエスこそ、真の渇きを癒す方

現代は蛇口をひねれば水が出ます。古代はそうではありませんでした。井戸があるところ、また、川や泉まで水を汲みにいかなければなりませんでした。水は人間のいのちなので、水が枯れるということは切実な問題でした。聖書の舞台は乾燥したパレスチナです。日本以上に水が枯渇しやすい環境です。水を得る場所は限られています。この女性は11節で、「どこから手に入れるのでしょうか」と主イエスに問います。
まず、女性はこの井戸のことを説明します。この井戸はヤコブの時代から使われていたようです。ヤコブは旧約聖書に出てくる人物でアブラハムの孫です。年代的には紀元前1900年以上前の人物でした。つまり2000年近くその井戸はあったとことなります。事実かはわかりませんが、相当長い間、枯れることなく、人々を癒し続けたのでしょう。数えきれないくらいの人や動物たちが恩恵を受けていました。その意味では非常に便利で価値の高いものでした。ですが、そのような貴重な井戸の水も主イエスは、はっきりと「この水を飲むものはまた渇く」と語られました。
そして14節では、「わたしが与える水を飲む者は、いつまでも決して渇くことがありません」と大胆な宣言をされています。その水はその人の内で泉となる、とあります。主イエスはいのちの泉です。神が救いの泉、いのちの泉であることは、旧約聖書でも暗示されています。詩篇36:9には「いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。」詩篇の42篇には「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています」「私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです」(詩編63篇1節)などあります。人が作った井戸、それに象徴される様々な物事ではなく、私たちの真の泉は主イエスにあるのです。

●だからこそ、私たちもこの主イエスから「生ける水」をいただいて歩もう。

ここには「また渇きます」(13)とあります。人間である限り、心の渇き、たましいの渇きを経験します。その渇きは本質的には神への渇きです。もちろん、私たちは今、荒野や砂漠に住んでいるわけではありません。けれども、世の中を生きていますと荒野のような渇いた心を感じることがあります。「何とか砂漠」いわれます。その渇きを満たすものはあるでしょうか。ヤコブの井戸のように多くを潤し、価値の高いようなものも世の中には存在します。趣味、仕事、友人、いろいろとあるでしょう。ですが、私たちの霊を満たしてくださるのは主イエスから生ける水です。
具体的には聖書のみことば、そして神への祈りです。私たちの真の渇きを癒すのは神のみことばの力です。そして神との会話である祈りです。つばさの投稿欄に「信仰にワクチンありや、そは祈り」とありました。「信仰にワクチンありや、そは祈り」、祈りは私たちに力を与えます。その結果、霊的な健康を与えるのです。みことばと祈りとはその人に霊的な力を与えます。そして「その人の内で泉」となるのです。
私たちは生ける水を求めてさまよう必要はありません。主イエスは私たちの近くにおられるので。私たちの側で為すことは、主イエスの前に一歩進み出て、心の口を開くだけなのです。
水は特に朝起きた時と寝る前に飲むと特に良い、と言われます。わが家でも宏美先生が朝、家族全員にコップ一杯、湯冷ましを入れてくれます。わたしも一気飲みするように心がけています。また、夜休む前も飲むようにしています。主のみことばも朝も夕、特に心に入れていくと良いです。


私たちはいろいろな渇きを覚えます。体の渇き、人とのつながりへの渇き、様々です。しかし、真の渇きは神への渇きです。主イエスは「わたしが与える水を飲むものは」と語られました。ヤコブの井戸ももちろん人を生かすのに大切だったでしょう。世の中には私たちの渇きを癒し、元気や力を与え、力づけるものはたくさんあります。しかし、それだけでは人は真に健やかに生きることができません。霊的な健康、潤いが必要です。その真の渇きを癒すのは主イエスからの生ける水です。サマリヤの女性は「その水を私に下さい」と願いました。彼女のように願い、みことばと祈りを通じてそれをいただいていく、生涯、歩み続けましょう。

◆本日の集会
  11:00~ 礼拝第2部    
ID: 861 2510 8976 パスコード: 159844 
◆次聖日(6月20日) 聖日礼拝           
 説教 「主を中心に生きる」~真の大黒柱~
イザヤ43:1~13 ♪9、404 
ID: 844 4055 3081 パスコード: 579456
    午後1:30~ 教会運営委員会

消息、報告
●8日には東武地区牧師会がありました。良い交わりと学びの時となりました。各教会、地域の上に祝福を祈りましょう。
●来週は教会運営委員会があります。下半期に向けての予定など話し合います。ご意見、ご希望のある方はお寄せください。