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「創造主のもとに帰る 」 2017/5/7

「創造主のもとに帰る 」       創世記1章24~31節
連休の最終日です。自然と触れ合った方々もおられることでしょう。「創世記」は、聖書が物語る神と人間との歴史、そして救いの物語の始まりの書です。1~11章には、私たち人間を含むこの世界の創造が記されています。神さまは、人を含めた被造物を「良しと」されました。その人は神さまのもとから離れてしまったのです。
●私たちは神さまによって造られ愛されている存在
神さまは自分が愛情を込めて、お造りになりました。だからこそ、大切であり、宝物です。愛するとは責任を持つとも言えます。愛する対象をいつでも、いかなる理由でも最善を尽くそうとします。神さまは、この世界と私たち人間に対して、創造主としての愛ゆえの責任を感じてくださっています。
●人は神さまから離れてしまった存在である
神様は被造物を愛しておられます。もちろん人もそうです。しかし、エペソ人への手紙2章には人の現実が示されています。それは「罪と罪過の中に死んでいた」(1)ということです。聖書が語る「罪」とは、的外れな生き方です。ある哲学者は「人間には神でしか満たすことの出来ない真空が心にある」と言いましたが、その心の穴が塞がれていなければ、満たされない思いだけが残ります。この心の底に開いた穴は神だけが塞ぐことができます。
●神は私たちが再度、神のもとに帰れるようにしてくださった
エペソ2:6には「天の所に」とあります。「天の所」とは神とともに歩むことです。神の所に行くのには努力や修行ではありません。ただ恵みによるのです。恵みとは神が一方的に私たちを愛してくださったその結果として与えられます。キリストの十字架によって罪の問題が解決され、神さまと再びつながるのです。これは神さまが「良し」とされた人の本来の姿です。お互いも主の恵みによって父なる神さまのもとに帰りましょう。