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「主は心を見る」 2018/2/4

「主は心を見る」                                            (Ⅰサムエル16:1~13)

今週からオリンピックが開催されます。オリンピックの関心はやはりメダルを取るか、メダルの色は何かということです。それで選手の評価を大きく変えてしまいます。世の中ではそのように見える実績や結果が求められます。しかし、神様の視点は違っていて「心を見ておられる」のです。
●人の評価の限界
サムエルは尊敬されていた祭司であり、預言者でした。彼はサウルの代わりに新しい王を選ぶ際、エッサイの長男エリアブ見て「確かに、主の前で油を注がれる者だ。」と思いました。彼は容貌も良く、背も高い人物だったようです。しかし、主は彼ではないと告げました。尊敬されていたサムエルでさえ、そのように人を見ました。また彼の師匠であったエリもそうでした(Ⅰサム1章)。人の評価には限界があります。
●神さまの評価がある
主は「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。~人はうわべを見るが、主は心を見る。」(7)と語られました。そして末の子であったダビデが選ばれました。ダビデも含めてすべての人間は罪人であり、完全に心の清い人はありません。「心を見る」とは主が私たちの「心の状態」を見られるということです。17章でのゴリヤテの戦いでは彼の純粋に主に信頼する心が記されています。そのような心を主は評価されるのです。
●私たちも神さまの前に心を整えたい
選びの器であったダビデですが13節以下には神の助け(油に象徴)と訓練が求められました。神が私たちに求めておられるのは、まず、神様に真実に従って生きることです。ダビデはこのあと多くの失敗もします。でも生涯、神の前に誠実に歩もうとする心は変わりませんでした(Ⅰ列王3:6)。私たちもダビデのように心から主の前を歩むお互いでありましょう。