インマヌエル越谷教会とは 定期集会 礼拝メッセージ 特別集会 教室・サークル アクセス そのほかのご案内

「神が与えられた望み」2018/3/4

「神が与えられた望み」ルカ2:22~32
今日は東日本大震災からちょうど7年目を迎えます。今、尚、避難を余儀なくされている方々、また東北のためにお祈りしたいと思います。そのような方々にとってはなかなか希望が見いだせないことでしょう。ですが、聖書には確かな希望があります。続いてルカの福音書から見てまいりましょう。
●私たちが生きている現場、時代。
今回の箇所は主の誕生の記事です。主が誕生された時代は自分の意志だけでは生きられない時代でした。ヨセフとマリヤは皇帝の勅令で苦難の旅を強いられました。現代でも圧政や災害のためにそのような状態にある方々がおられます。また「宿屋には彼らのいる場所がなかった」とありますが、弱い人が顧みられない時代でした。また羊飼いが受けていたように格差や差別、という現実もあります。
●そのような私たちに神さまは希望をくださった
そのような私たちに神さまは希望をくださいました。それが主キリストです。皇帝は当時世界の最高権力者の一人でした。しかし「主」であるキリストはレベルの全く違う存在です。創造主ご自身だからです。その方はまず、社会の底辺にいた羊飼いたちに現れてくださった愛の方でもありました。そして私たちの「心の王」なのです。
●私たちもこの時代の中で希望を抱いて歩みたい
25節からはシメオンとアンナが出てまいります。シメオンは、「イスラエルの慰められるのを待ち望」んでいたとあります。アンナは八十四歳にもなっていましたが、救い主の到来を待ち望んでいました。彼らは、自分の「願望」が中心ではなく、神さまを信じ希望」をもって待っていました。聖書はこれを「待ち望む」と記しています。彼らは希望の土台である主キリストに出会い、抱きました。私も主キリストに心に抱き、希望をもって歩みましょう。