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‘礼拝メッセージ(抜粋)’

「そこに見えたのはイエスだけ」2018.11.4

「そこに見えたのはイエスだけ」        (ルカ9:28~36)
先週は主イエスの生涯の転機を心にとどめてきました。主はこれから、いよいよ十字架の贖いのメシヤとしてご自分を明らかにしつつ歩まれます。今回の箇所は、その8日後のことです。日数が記されており、弟子たちにとっていかにこの出来事が印象的であったかを感じることができます。主イエスは弟子たちのうち三人をつれて山に登られました。主はいつも山でも祈っておられましたが、この個所では神の子であるイエスのお姿を明らかに現わされたのです。
●神の子イエス様のお姿
主はご自身神の子であることを明らかにされました。
①そのお姿から・・・イエスは祈りのうちに変貌されました。厳密に言えば、姿が変わったのではなく、本来の姿を垣間見せてくださったのです。
②そのお立場から・・・主の下にモーセとエリヤが現れました。モーセは旧約の偉大なユダヤ人のリーダー、エリヤは最も尊敬されている預言者でした。しかし、彼らはいなくなり「わたしの選んだ子」と父なる神の声がしました。主はモーセやエリヤとは全く別格の存在でした。
③そして永遠性です・・・モーセとエリヤは消えました。しかし、そこには主だけがおられたのです。主イエスは永遠の神の子として存在される方です。
●その主イエスに私たちは信頼して歩みたい
主イエスは神の御子としてこの地上に来られました。モーセやエリヤも偉大な人物でしたが有限的な人でした。しかし主は神の子として今も生きて、私たちを助けてくださる方です。「彼の言うことを聞け」(35)という父なる神の語りかけを受け止めつつ、私たちも永遠の神の子である、主の声にお従いして歩むことができれば幸いです。

「信仰があなたを救ったのです」2018/10/7 

「信仰があなたを救ったのです」 (ルカ8:40~56)
主イエスと弟子たちはガリラヤ湖の対岸から帰ってこられました。その主を群衆は喜んで迎えました。そこに二人の人物がやってきました。一人は娘が病に倒れていた会堂司、もう一人は長血を患っていた女性でした。主は彼らの信仰を見てそれに答えてくださいました。ここから信仰ということを学んでみます。
●信仰は基本的には個人的なもの
「あなたの信仰があなたを救ったのです」(48)とあります。「あなたの」という時、信仰が個人的なものだ、とわかります。大勢の群衆も主イエスに期待して押し寄せてきましたが「あなたの信仰が」と言われたのは長血の女性だけでした。
●その信仰はイエス様に向けられた
ヤイロはイエスのもとに来て懇願しました。女性もイエスの後ろから近づいて「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」(マルコ5:28)と思っていました。主イエスの力(デュナミス)は、その女性の体に直接、癒しが作用したのです。主イエスはそのような力のある方でした。
●その信仰が大きな結果をもたらした
この女性とヤイロの信仰は大きな結果をもたらしました。女性の場合は彼女の病がいやされただけでなく病によって失われていた社会的地位を取り戻したのです。またヤイロの娘も一度は死によって失われた人生を取り戻しました。
●私たちにもこの信仰が必要
「あなたの信仰が」とは私たち一人ひとりにも適用されます。ヤイロや女性の信仰は客観的に見れば頼りないところがあります。しかし、どんなにつたない信頼であったとしても、主イエスがそれを受け留めてくださり、大きな結果をくださるのです。私たちにとってそれは新しい人生、確かな指針、そしてよみがえりの希望などです。この信仰を抱いて歩みましょう。

「真に豊かな生涯」 2018/9/17

「真に豊かな生涯」     (詩篇91篇)
明日は敬老の日です。長寿は幸いですが、その中でも真に豊かな生涯を歩む秘訣を考えて行きましょう。詩篇91篇は90篇、92篇とともに「信頼の3連詩」ともいわれテーマは「神への信頼によって与えられる心の安全」といえます。「心の安全」とは人が求めている根本的な問題の一つです。この詩篇は主語が「私」「あなた」「彼」等ありますが、いずれも信仰者の証でなのです。
●主の守りの範囲
主の守りは敵から(3)、病から(3、6、10)、あらゆる危険から(5、10、13)などといえます。小鳥を捕まえるカスミ網というのがありますが、私たちの周りには目に見えないような危険があります。それら一つひとつから主は守ってくださいます。
●主の守りの姿
主の守りは犠牲的です。「主は、ご自分の羽で」とありますが雛を命がけで守る親鳥のように私たちを守ってくださいます。
その武器は「真実」です。神さまはその真実さ故に「確実に」私たちを守ってくださいます。
●主の守りの対象
ご自身に信頼するものを特に守られる方です。もちろん主は
創造主としてすべての被造物(ヨナ4:11)を愛しておられます。また、主ご自身のかたちに創られた存在である人を愛しておられます。そして何より、神を愛し、求める人(14)を助けて下さるのです。「愛しているから」は「すがりついて離れない」という意味があります。そのような人に援助(14)、高揚(14)、応答(15)、慰め(15)、栄誉(15)、豊かな生涯(16)、救いと啓示(16)等を与えてくださるのです。鍵は継続的な主との関係です。「住む」92:1「宿る」(91:1)「植えられる」92:13という言葉に表されるものです。神を愛する生涯は真に豊かな生涯です。これを土台に進んで行きましょう。

「試練と備えられた脱出の道」2018/8/5

「試練と備えられた脱出の道」
コリント人への手紙第一10章11~13節
第一コリント10:13は聖書の中でも良く知られている言葉です。とても良い、励ましの言葉でもあります。このみ言葉によって、キリスト信仰に近づいたと言う人も、多くいるようです。このみ言葉から三つのこと考えましょう。
●脱出の道の鍵は聖書の神様にある
私たちも、人生のあらゆる困難、試練、逆境の時があります。それを超える鍵はまず「神」ということです。まことの神は、歴史の中で働かれる神です。1~4節では出エジプトの際、助けてくださった主が記されています。またノア、ヤコブ、ヨセフらもこの主の助けをいただきました。
実際の歴史に働かれる神こそ、まことの神の姿です。
●神様にある試練には意味がある
「あなたがたのあった試練は」との「試練」とは私たちの実質を試す、という意味で、「テスト」が一番近いニュアンスの言葉です。またヤコブ1:2~3を読んで見ますと、「信仰がためされると忍耐が生じ」ますとあります。試練を通してでなければ作られない私たちの品性というものがあるのです。また、その試練には意味があります。主は生まれつき目の不自由に人に「神の栄光が現されるため」と語られたようにです。
●私たちには試練の道を歩んでくださる方がおられる
私たちには試練の道を共に歩まれる方がおられます。目の不自由な方のマラソンでは伴走者き付ます。伴奏者はいっしょに走るだけでなく状況を伝え、ランナーにのびのびと走らせるそうです。また伴走者とランナーは1つのロープを握りあって走ります。私たちには主イエスがともにおられます。そして私たちを励まし導いてくだるのです。この方と繋がり、共に感謝しつつ歩んでまいりましょう。

「偽ってはいけない」2018/7/1

「偽ってはいけない」出エジプト20:8~21
先日、越谷市でまた振り込め詐欺の被害があったそうです。様々な形で対策がとられてるようですが、なかなか後を絶ちません。最近や公文書の改ざん問題、またスポーツの世界でも誠実さを疑うような出来事が続いています。聖書には様々な人のドラマが出てきますが、人が出てくる以上、ごまかしや偽り、ということもあります。
今回の聖書の箇所は十戒と言われるものです。これは創造主である方が定められたもので人が幸せに生きるための原則と言えます。その中で「あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない。」(出エ20:16)とあります。「証言」とは一義的には裁判など公の場所での偽証のことです。しかし、ここで大切なことはそれが公的であり私的であれ「あなたの隣人」とあることです。つまり人間関係の問題です。私たちの何気ないうそやごまかし、根拠のないうわさ話などか隣人の心を深く傷つけることがあります。
それは決して他人毎ではありません。パウロはエペソのクリスチャンたちに「さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、」(エペソ2:1、2)と語りました。私たちもみな同じように他の人を傷つけるというような罪を犯している可能性があります。
ですが「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かし」(同4、5)とてくださいました。これは主イエス・キリストによる罪のための身代わり犠牲によるものです。そして「あなたがたは偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。」(エペソ4:25)とあるように神さまは私たちをキリストにあって「新しい人」へと変えてくださるのです。

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