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「神のことばによる希望」2022/7/11

メッセージ  「神のことばによる希望」   Ⅰペテロ1:22~25
拉致被害者、横田めぐみさんのお母様、横田早紀江さんは、長年、めぐみさんの救出のために活動してこられました。長い戦いです。その早紀江さんを支えているものがありました。それは聖書です。お話にもありましたように、早紀江さんは聖書に出会いました。その聖書のことばが、早紀江さんを慰め、励まし、希望を与えたのです。今回、お開きした箇所にはその聖書のことばが何か、何を私たちに与えてくれるか、が記されています。
●聖書は何か・・・変わることがない神のことばです。
Ⅰぺテロ1章24、25節には「人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは永遠に立つ」とあります。まず、ここには変わるものが記されています。「人はみな草のよう」とあります。それは人の世界です。人の世界は変わりやすいものです。先行きも不透明です。しかし、変わらないものがあります。それが聖書に記された神のことばです。主とは聖書に記された神です。この神はそのことばを文字にして私たちにくださいました。この神は、変わることがない神です。その神のことばも変わることはありません。人の世は変わっても変わることがない。「いつまでも残る」、それが、神のことばです。
●聖書は何を与えるか・・・変わることがない希望を与えます。
横田早紀江さんのトラクトには「私たちは覚えられている」とあります。私たちを決して離したり、見捨てたりされない方がおられるということです。それは聖書の神であり、そのひとり子主イエスです。詩27:10 には「私の父私の母が私を見捨てるときは主が私を取り上げてくださいます。」とあります。神も、そしてそのひとり子主イエスも私たちを見捨てず、覚え、守り、導いてくださる方です。神を信じたからといって様々な問題が解決し、何の苦労や試練もない生涯が与えられる、というものではありません。しかし、どんな時でもこの神に信頼し、希望をおいて歩むことできます。神のことばである聖書。そして、そこある希望をもって歩みましょう。