インマヌエル越谷教会とは 定期集会 礼拝メッセージ 特別集会 教室・サークル アクセス そのほかのご案内

「赦され、赦す生き方」 2016/7/3

「赦され、赦す生き方」マタイ18:21~35
最近、不寛容社会ということが話題になっています。アンケートでは他人の過ちや欠点を許さない不寛容な社会だと感じている人が46パーセントあり、そうではないという人を上回りました。今回はこの「赦し」について考えましょう。
●まずこのたとえ話を少し詳しく見てみましょう
主イエスはペテロに「七の七十倍までも赦しなさい」と語られ、無限の赦しを示し、このたとえを語られました。この1万タラントとは6000億円といえる高額なものです。これは返済不可能な負債です。その借金を王は憐みのゆえに免除しました。ところが、この赦しにあずかった僕は外に出て、借金をしている仲間を憐れまなかったというのです。
●私たちは赦されているという事実
この王とは聖書の神さま、そしてしもべと私たちと言えます。
私たちも神に対して罪という負債を追っています。それは返済不能なほど大きいのです。しかし、 「神がキリストにおいてあなた方を赦してくださったように、互いに赦しあいなさい。」(エペソ4:32)とあるように主イエスの十字架の犠牲ゆえに帳消しにしてくださったのです。聖書の神は罪を赦し私たちと神さまの良い関係を取り戻したいと願っておられます。
●だからこそ私たちは人を赦し受け入れ合いたい
このしもべは王から信じられない憐れみをかけてもらって外に出て行きます。王の御前から普段の場所へと戻っていくのです。ところが彼はそこで他人を憐れむことはしませんでした。王の行動とは逆の態度を示したのです。私たちはどうでしょうか。 私たちは主イエスの犠牲によって罪の負債が赦されています。だからこそ「あなた方を赦してくださったように、互いに赦しあいなさい。」ということを実践する必要があります。これは神様の期待でもあるのです。