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‘礼拝メッセージ(抜粋)’

「それはあなたのいのちだから」2019.8.4

「それはあなたのいのちだから」箴言4(全)
8月に入りました。今月は教会では子どもたちや青年たちの集会が多くあります。若い時、学ぶことは大切です。今回の箴言は実際的な的な知恵、教訓が記されています。これらはイスラエルの王であったソロモンを中心とした知恵者のことばの集まりです。同時に大切なことは格言ではありますが、神のことばであるということす。
●この神のことばは継承され続けてきた
「子たちよ」(1)とありますが、これは代々受け継がれてきたものでした。親から子、子から孫というようにです。受け継がれてきたものは時代を越えてそれだけの「価値」があるものです。人の価値観は世代や文化によって変わります。しかし、神のことばは不変の真理です。
●人の中心、力となるもの
「それはあなたのいのちだから」(13)とあります。この神のことばは人の心の中心、力となるものです。現在の様々な出来事を考えると人の心の歪みを感じます。また日本は物質的には豊かであるはずですが、幸福を感じている人の度合いが少ないともいわれています。それらは心の問題であり「いのちの泉はここから湧く」とあるように、神のことばはその人の中で心の土台、力となるのです。
●この神のことばは主イエスによって私たちに伝えらた。
箴言では「訓戒を握りしめて」「手放すな」と繰り返していいます。箴言はユダヤの人々に読み継がれました。しかし、そのユダヤの人々も結局、多くは神から離れていきました。そのために神はご自身が人となって直接、語り掛けられたのです。それがイエス・キリストです(ヨハネ1:4、14:6)。この方にいのちがあるのです。私たちはこの「いのちのことば」である主イエスを手放すことなく、心に保ちつつ歩みましょう。

「足りてますか? 人生」2019.7.7

「足りてますか? 人生」(伝道者の書12章全)
今年も半分が終わり、下半期に入りました。今、世間では「2000万円問題」ということが話題となっています。定年後、年金以外に2000万円が必要ということです。足りないということでは今後、日本の人口、または生産年齢人口もどんどん減って行くといわれています。しかし、本当に不足しているのはお金や人手だけでしょうか。また逆にそのようものが足りれば人は満足できるのでしょうか。
今回は伝道者の書といわれるものです。この書の記者はソロモン王であるといわれています。彼は、「日の下」と表現している地上での生涯で知恵と知識を用いて永遠に益となることを求めようとしました。ところがその労苦はすべて「空しい」と悟ったのです。しかし、聖書には違う価値観の世界があると言われています。それは①永遠という観点からの世界(11:1)②神を中心とした世界(12章)です。それは決して空しくない、真に満ち足りた世界です。「日の下で」とありましたが「日の上」という価値観があり、それは「神中心」の価値観です。
12:1の「覚えよ」とある言葉は「思い起こせ」とも訳せます。それは「あなたの創造者」である方をです。人はこの創造者である神に造られたにも関わらず離れて生きています。ですが「神はまた、人の心に永遠を与えられた。」(3:11)とあるように人の心には神や永遠に対する思いは存在します。それを「思い起こす」ことが大切です。そのために神ご自身が地上に来て下さいました。それがイエス・キリストです。
そのイエス・キリストは「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」(ヨハネ7:37、38)と語られました。このイエス・キリストに信じる時、人は再び、神を覚えることができ、真の満ち足りた生き方が可能となるのです。

「新たな時代に、新たな土台を」2019.6.2

「新たな時代に、新たな土台を」イザヤ40:1~11
先週、新元号となり、一つの区切りとなりました。イザヤ書は紀元前700年頃に預言者イザヤによって記されたものです。当時イザヤのユダ王国はアッシリアの属国状態にありました。さらに新たな強国バビロン帝国の脅威がさし迫っているという時代の転換点でした。その中で40章からは主の慰めと希望が語られています。
●神は私たちを愛し、語りかけてくださる神
聖書に記された神は私たちを愛し、語り掛けてくださる方です。神はユダヤの国の人々を「わたしの民」(1)と呼ばれました。またその民に「優しく語りかけよ」「呼びかけよ」と彼らを慰め、励ましを続けられました。このように神は私たちを愛し、語りかけてくださる神です。
●その神のことばは決して変わらないもの
平成は世界と日本の大転換期といえる年でした。天安門事件、ベルリンの壁崩壊、米ソ冷戦の終結がありました。日本では消費税がスタートし、その後バブルの崩壊とともに「失われた20年」に突入しました。ユダの国では、春になるといっぺんに花が芽吹きますが、やがて夏になると熱風が吹きつけ、花を枯らすといわれます。「草はしおれ、花は散る」(7)とあるようにです。しかし、「私たちの神のことばは永遠に立つ。」とあるように神のことばは決して変わることがありません。
●だからこそ、この神のことばに信頼していきたい
「見よ、あなたがたの神を」(9)とイザヤは語りました。私たちはこの神とそのおことばに目を留めて歩みましょう。主イエスはそのように歩む人のことを「岩の上に家を建てた人」(マタイ7:24)に例えられました。平成は震災や台風など、災害の多い時代でした。私たちにも問題課題の嵐があるかもしれません。そのような時、真の土台である神のみことばに信頼して歩みましょう。

まことのいのち、希望」~復活の主イエスとともに~ 2019.5.5

「まことのいのち、希望」~復活の主イエスとともに~  ルカ24:15~35
今日はベサニー・ハミルトンという方のドキュメンタリーをご覧いただきました。彼女は有名なサーファーでしたが、鮫に襲われ片腕を失いました。ですが「神がともにいてくださる」ということを励みに歩んでおられます。この朝は、イースターの礼拝ともなっています。聖書の箇所は、エマオ途上の二人の弟子と復活された主イエスのお話です。弟子たちは主イエスの十字架の現実に希望を失い、同時に復活のうわさに戸惑っていました。彼らは「暗い顔つき」になり、議論しつつ歩いていました。すると復活のイエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩みだしたのです。しかし、彼らはイエスだとはわかりませんでした。
そんな彼らに主は「その話は何のことですか」と尋ねると、彼らは一気に話し出しました。人はなにかつらいことがあると一気に話したくなるものです。主は彼らの話をじっくりと聞いてくださいました。そして真のメシヤであるご自身のことを語ってくださったのです。二人の弟子たちは主に出会ったことがわかるとただちに踝を返して、エルサレムに引き返しました。彼らは、復活の主の言葉によって、生き方の向きを、歩き方を変えたのです。再び、彼らは、教会に帰り、主イエスから与えられた使命に生きて行くのでした。
私たちの生涯にもこの弟子たちのように失望したり、落ち込んだりすることがあります。サーフィンも良い波、良くない波があるようにです。ですが、どんな状況でも希望があります。それは復活された主イエスが私たちの傍におられるということです。インマヌエル「神様がともにおられる」という恵みです。その根拠は何でしょうか。それは主が今も生きておられるからです、だからこそ私たち一人ひとりの傍にいることができるからです。これは「永遠の命」へのスタートでもあります。お互いにこの復活の主ととも歩む幸いを体験しつつ、歩んでまいりましょう。

「この新しい生ける道を」2019.4.7

「この新しい生ける道を」ヘブル10:19~25
4月も2週間が経ちました。新しい学校、クラス、職場など様々な変化があるかもしれません。新しい学校や職場にはテストや資格、実績が必要なことがあります。そのために勉強をしたり、代価を支払うこともあります。聖書にはいかに人が神と出会うことができるか、また、その国である天国に入ることができるか、ということが記され、その道が示されています。今週は受難週です。主イエスの十字架には目的がありました。それはすべての人が神様と出会う道を造るためでした。
●イエス・キリストによって開かれた道。
この手紙の8章からは、幕屋について記されています。幕屋には門が東に一箇所あるのみでした。また神と出会う至聖所には厚い垂れ幕があり、大祭司のみが入ることができました。主イエスは「わたしは門です」(ヨハネ10:9)と語られ、神の唯一の門となられました。また、ご自分が犠牲となり、この道を開かれました。主が十字架に架けられた時、神殿の垂れ幕が裂かれたのはその証しです。そればかりではありません。21節を見ると「偉大な祭司」である主が私たちとともにおられるのです。
●その道を無駄にすることなく、私たちも歩みたい。
主イエスはご自分の犠牲よって、この道を造られました。わたしたちもこの道を大切に歩みましょう。それには「信仰・希望・愛」という三つのカギがあります。①信仰・・・私たちは信仰をもって神に近づきましょう。それは「真心」からの祈りです。自分の弱さや失敗にこだわらず、純粋な心で主を求めましょう②希望・・・希望があまり見出されない時代です。しかし、「約束された方は真実な方」(23)である神の言葉があるのです。ここに希望を置きましょう。③愛・・・お互いは互いに関心を持ち、「互いの重荷を負い合い」(ガラテヤ6:2)ましょう。そのようにして私たちも「この新しい生ける道」を歩みましょう。

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