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‘礼拝メッセージ(抜粋)’

「主イエスを必要とする人」2017/7/2

「主イエスを必要とする人」マルコ2:13~17
マルコの福音書はマルコがイエス・キリストの言葉や行いを記録した伝記です。イエスキリストの生涯は33年ほどといわれていますが、2章ではすでにイエス・キリストが公の生涯に入られ、人気が拡大していたことが記されています。今日の箇所はレビ(マタイ)が主に弟子として呼ばれた箇所です。彼は当時のユダヤ人から嫌われていた取税人でした。その後、彼は自宅で宴会を始めました。そこで主はご自身を医者であると語られたのです。
●主イエスは良い医者として来られた
医者は人のいのちに直接関わる大変な仕事です。主イエスご自身はいのちを繋ぐ医者です。それは肉体のいのちではありません。神様との罪という亀裂を繋ぐ医者です。それは主が与えて下さる永遠のいのちによるものです。「病人」とありますが、ここでは神様から離れた故の苦しさに陥っている人のことです。このような人々がいやされるのです。
●本来はすべての人がこの主イエスが必要
イエス様の周りには色々な人々がいました。群衆、弟子たち、レビを含む取税人、罪人とよばれる人々、パリサイ人たちです。群衆や弟子たちは主イエスを見捨て逃げ出しました。パリサイ人たちは他人を見下していました。神さまの目から見れば一人ひとり、神様が造られた愛する対象であり、同時に皆が神様から離れている「病人」なのです。
●大切なのは自分の健康状態を自覚し、主イエスの招きに応じること
「正しい人」(17)とは問題のない完璧な人ではなく、自分は問題ない、健康的に生きていると主張している人のことです。「罪人」とは自分の「心の貧しさを自覚している人」です。そのような人は主イエスを必要とするのです。主イエスはそのような人々を癒してくださるのです。この方に信頼して歩みましょう。

「ペンテコステの恵み」2017/6/4

今日はペンテコステの礼拝です。ペンテコステはユダヤの暦で五旬節という意味であり、主イエスが天に帰られたあと約束された聖霊が弟子たちに臨まれたものです。この日を契機に教会が誕生しました。これらのことを記念する日(クリスマス、イースターとともに)です。聖霊は主の約束でした。それは神様からの「賜物」だったのです。
●この聖霊は
信じるすべての者に与えられ、父なる神が主イエスの代わりに弟子たちに送ってくださったものです。そして弟子たちの心に入り、導き、慰め、助けてくださる方です。聖霊は「聖霊なる神」です。
●その働きは
聖霊は人々に罪をわからせます。そして心の中から導き、励ましを与えるのです。救いの確信を与え、人々にみことばを理解させます。また、罪をきよめ、愛で人の心を満たしでくださいます。
●聖霊は一致という真の力を生み出す。
聖霊は罪をきよめ、愛(神の愛)で満たすことができます。それは結果的に分裂のある社会に一致と絆をもたらします(聖餐式はその表現)。今の時代はますます、人々が分裂していることを思います。テロ、内乱、格差、夫婦の問題などです。しかし、聖霊はそのような人々の心を変えてくださるのです。一致は真の力となります。使徒の時代の教会はそのような教会でした。
●だからこそ、この聖霊の力に委ねて歩みましょう。
私たちはこの方に心を満たしていただく必要があります。それにはまずこの方の声を聴くことです。みことばを通じて聖霊は私たちに語り掛けてくださいます。そしてこの方の声(光)に従いましょう。結果としてこの方の性質(愛と聖さ)に生き続けることができるのです。

「創造主のもとに帰る 」 2017/5/7

「創造主のもとに帰る 」       創世記1章24~31節
連休の最終日です。自然と触れ合った方々もおられることでしょう。「創世記」は、聖書が物語る神と人間との歴史、そして救いの物語の始まりの書です。1~11章には、私たち人間を含むこの世界の創造が記されています。神さまは、人を含めた被造物を「良しと」されました。その人は神さまのもとから離れてしまったのです。
●私たちは神さまによって造られ愛されている存在
神さまは自分が愛情を込めて、お造りになりました。だからこそ、大切であり、宝物です。愛するとは責任を持つとも言えます。愛する対象をいつでも、いかなる理由でも最善を尽くそうとします。神さまは、この世界と私たち人間に対して、創造主としての愛ゆえの責任を感じてくださっています。
●人は神さまから離れてしまった存在である
神様は被造物を愛しておられます。もちろん人もそうです。しかし、エペソ人への手紙2章には人の現実が示されています。それは「罪と罪過の中に死んでいた」(1)ということです。聖書が語る「罪」とは、的外れな生き方です。ある哲学者は「人間には神でしか満たすことの出来ない真空が心にある」と言いましたが、その心の穴が塞がれていなければ、満たされない思いだけが残ります。この心の底に開いた穴は神だけが塞ぐことができます。
●神は私たちが再度、神のもとに帰れるようにしてくださった
エペソ2:6には「天の所に」とあります。「天の所」とは神とともに歩むことです。神の所に行くのには努力や修行ではありません。ただ恵みによるのです。恵みとは神が一方的に私たちを愛してくださったその結果として与えられます。キリストの十字架によって罪の問題が解決され、神さまと再びつながるのです。これは神さまが「良し」とされた人の本来の姿です。お互いも主の恵みによって父なる神さまのもとに帰りましょう。

「行くべき道を開く神」2017/4/2

「行くべき道を開く神」ヨシュア3:1~17
今日は4月の第一の聖日です。それぞれ新しい道をスタートされ方もおられるでしょう。私たちはどのようにその道を歩むのでしょうか。カナン入国ため三日間の準備をしたヨシュアたちはヨルダン川の川岸まできました。この時期のヨルダン川は雪解け水のために濁流となっていました。その濁流が主の奇跡によってせき止められ、イスラエルの民は渡ることができたのです。
●私たちの先頭は主ご自身
「あなたがたは、あなたがたの神、主の契約の箱を見、レビ人の祭司たちが、それをかついでいるのを見たなら、あなたがたのいるところを発って、その後ろを進まなければならない」とあります。契約の箱は、十戒が刻まれた石板を収めた箱です。それは神の臨在を表します。その神の箱の後に続いて歩く。それが、「行くべき道を知る」ための鍵でした。現在の私たちには聖書と聖霊の導きがあります。その声を聞き、その後ろを歩むのです。
●心備えの必要
ヨシュアはさらに「あなたがたの身をきよめなさい」と命じました。具体的には、着物を洗うことだと言われいます。なぜ身をきよめる必要があるのでしょう。きよい神が前に来られるからです。これは、心の定期健康診断とも言えます。聖霊によって心を探っていただき、心を整えましょう。
●ヨルダン渡河が意味すること
このヨルダン川渡河は神の約束の保証です。出エジプトでは主は民に紅海を渡らせ、それらによって神の助けの約束を確証されたのです。現代の私たちにはその保証は主の十字架と復活の事実です。これにより救いと主の愛を確証されたのです。私たちの行く先にもヨルダン川の濁流のような困難があるかもしれません。しかし、私たちは「主の契約の箱を見」とあるように主のみことばと臨在に信頼を置き、これを見つめて歩みましょう。

「あなたの重荷を主にゆだねよ」2017/3/5

「あなたの重荷を主にゆだねよ」
(詩篇55:16~26)
今週は大震災から6年目を迎えます。苦しみの深さをあらためて思いますが、被災地のために、また避難をしている方々のために続けてお祈りしましょう。ダビデはかつて上司であったサウル王から命を狙われ、その後も、息子のアブサシャロムが反乱を起こしエルサレムから逃げざるを得なくなりました。その時、自分の顧問であり、盟友であったアヒトフェルもダビデを裏切るのです。その時の絶望的な気持ちが2節から5節にあります。震災で被災された方々も、まさに絶望的な気持ちになられたでしょう。
16節からはその中でも主に助けを求めたダビデの姿を見ることができます。「私が、神に呼ばわると、主は私を救ってくださる」(16節)とあるようにです。実際、聖書の歴史の部分を読んでいきますと、神がダビデをその危機から救われたことが記されています。この詩篇はマスキールとありますがマスキールとは教訓ということです。ダビデは自分の経験、あるいは失敗を通じて神さまに信頼することの大切さを伝えようとしたのです。
それが「あなたの重荷を主にゆだねよ」(22節)ということです。ゆだねるとは、飛行機に乗り、その際には操縦士を100%信頼し、命も家族も全てをまかせきるというようなことです。また「放り投げる」ことで、自分の思い煩いやを課題を、そのまま創造主である方の前に差し出すことです。主は見えないお方ですから、ゆだねると言っても抽象的に思えるかも知れませんが、例えば友人に今の苦しみを告白して共感してもらうだけでも楽になれます。ですが、残念ことに多くの人々はこの創造主である方を知りません。そのためにイエスキリストは、自ら十字架の犠牲となられ「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネ14:6)とあるようにこの神への道を作ってくださったのです。

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