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‘礼拝メッセージ(抜粋)’

「真の後見人である方」2019.3.3

「真の後見人である方」ヨハネ10:1~18
先日、越谷市の主催する成年後見人制度という講演会にいってきました。後見人は財産管理、身の回りなど様々な判断することの難しくなった方をサポートします。主イエスは私たちの真の後見人となってくださる方です。主イエスは何度も「わたしは…です」と言われましたが、ここでは門(9節)、良い牧者(11節)と言っておられます。
●良い後見人、牧者としての主イエスの姿
①主イエスは私たちを犠牲的に愛してくださいます。
後見人は多くの犠牲を伴います。羊飼いもそうでした。羊に水を与え、牧草を与えて養うことは、とても厳しい仕事でした。門であり羊飼いとありますが、羊飼いは囲いの門のところに羊飼い自身が横たわっていたそうです。命を捨てる覚悟を持った犠牲が必要でした。主イエスはまさに、私たちのために十字架でいのちを捨てられたのです。
②イエスは我らをよく知っておられる(14節)。
牧者は羊を一匹ずつよく知っています。「それぞれの名を呼んで連れていき」(3)とあるようにです。羊飼いは他の群れと一緒になっている自分の羊を良く知っていて導かれます。そして私たちの心の叫び声を聞いてくださる方です(詩139)。
●私たちもこの良い後見人、羊飼いである方に信頼したい。
羊はその声をよく知っていて、自分の羊飼いの声だけに反応してついて行きます。それは牧者と羊の間に、個人的で親密な関係があるからです。 私たちもこの主と親密な関係を保ちつつ歩むことができれば幸いです。講演の最後に講師の方が「手遅れになる前に」といっておられました。多くのこの制度の利用者は、何かあってから頼むことが多いそうです。そうではなくその生涯の早いうちから、この主とともに歩む幸いな生涯を体験しましょう。

「キリスト・イエスにある確かな希望」2019.2.3

「キリスト・イエスにある確かな希望」ローマ5:1~11節
2019年もひと月が過ぎました。時が経つのは早いもので来年、再来年、また10、20年後もすぐ来るでしょう。その20年くらい前と今の人々の将来への考え方は違っているように思えます。その特徴は未来へ対する不安です。政府の将来に対する統計によれば、日本の未来は「明るいと思う」が33.2%「暗いと思う」が60.0%だそうです。また自身の将来について「不安を感じる」とする者の割合が69.0%で内容としては「自分や家族の健康状態の悪化」「大規模な自然災害の発生」「社会保障や教育などサービスの水準の低下」だそうです。なかなか希望が見出しにくい社会にあります。
しかし、ローマ5章5節には「この希望は失望に終わることがありません。」とあります。「失望のない希望」があるのです。その希望とは、「神との平和」(1)に基づくものです。1章~3章には人はその罪のゆえに神さまと関係が崩れていること、同時にイエスキリストの贖いによってこの関係を正しくすることができることが記されています。この神との新たな関係は永遠に人本来の幸福をもたらすものです。
では、なぜ確かなものと言えるでしょう。①聖書の証言だからです。政府の統計さえ不正があったのではないかといわれる時代、誤りのない神のことばである聖書がこれを語っているからです。②体験が確信を与えるからです。「聖霊によって」(5)とありますが聖霊は私たちの心に「約束の証印」を押してくださる方です③神の愛の事実のゆえです。「キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」(8)とありますが、私たちの罪のために、十字架に架かって尊い血潮を流し、罪を贖ってくださり、父なる神と私たちとの仲保者となられた生ける神の御子イエス・キリストの存在そのものが保証なのです。

「成熟の模範」~アブラハムに学ぶ~ 2019.1.20

「成熟の模範」~アブラハムに学ぶ」~創世記12章1~4節、24章1~4
この年は「成熟」ということがテーマとされています。先週は「キリストの身丈にまで」ということで大人になることが語られました。今回はその模範となる人物から学びます。
●アブラハムの人物像
彼は「信仰の父」「神の友」と呼ばれユダヤ人の父祖とされています。出身はウル(現在のイラク)。神の声を聞き、神が示したカナン(現在のパレスチナ地方)に移り住みました。幾多の失敗や試練がありましたが神の声に従いカナンに住み、そこで祝福されました。神はアダムやその後の人類にそれを期待していましたがことごく彼らは失敗しました。その中で選ばれたのがアブラハムでした。彼は神に「あなたは祝福となりなさい」と「祝福の源」として選ばれたのです。
●成熟していったアブラハム
「信仰の父」として尊敬されているアブラハムですが、数々の失敗もありました。カナンを離れてエジプトやネゲブに移住(12:10、20:1)したり、神の約束の時を待てずに側室を迎えたりました(16)。それらは家庭の混乱、神の沈黙を招いたのです。原因は神の導きを仰がなかったこと(12:10、16:2)でした。神はみことばもって彼を導き養ってくださいました(12:1、15:1、17:1等)それらのことを通じて彼は成長し信仰を増していったのです(22章)。
●継承されるべき祝福
成熟し晩年を迎えたアブラハム。その彼には信仰の継承、祝福の継承という最後の大仕事がありました(24章)それらも不思議な神の導きによって成し遂げられたのです(27、48)。私たちも一人ひとりが「神の祝福の源」です(個人・教会)。主が弟子たちに期待され通り「シャローム」(平和)をもたらす者に(マタイ10:12)なることができれば幸いです。そのためにもお互いがみことばによって成熟して行くことができれば幸いです。

「私たちの間に住まわれた神」2018.12.21

「私たちの間に住まわれた神」 (ヨハネ1:1~14)

2018年のクリスマスを迎えました。クリスマスは神が人となられたという不思議な出来事です。ヨハネの福音書はその不思議を解き明かし、御子を信じる者が永遠のいのちを得ることができるようにと記されています。1章は「人が神となられた不思議」の序文と言えます。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」(14)。ヨハネはこの「ことば」には永遠性と神性があること、また、この「ことば」は創造主であると言っています。そしてそれがイエス・キリストご自身のことです。
「住まわれた」という言葉は「幕屋を張った」とも訳することができます。「幕屋を張る」とはモーセの時代、「わたしは彼らの中に住む」ということでした。「ことば」である神のひとり子である方が「幕屋を張られた」ということは、私たちの間に(一時的ではありますが)肉体という形をとって私たちの間に住まわれ、親しいかかわりを持ってくださったということです。
2018年も様々なことがありました。教会としては30周年の記念工事や記念集会などもありました。多くの方々が集うようになりました。それは感謝ですが、大切なのはそこに主イエスさまがおられるか、ということです。「この方の栄光を見た」とありますが「見た」というのは継続的なものです。弟子たちは主イエスを継続的に見ることによって神のすばらしさを体験しました。
私たちはどうでしょう。教会員の同士の間で、夫婦で、友人同士でその間に神のすばらしさを見ることができるでしょうか。 「それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい」(ピリピ2:2~5)とあります。格差や不公平の多い時代です。その中でこの遜った主イエスの思いを知り、私たちも自分のものとできれば幸いです。

「そこに見えたのはイエスだけ」2018.11.4

「そこに見えたのはイエスだけ」        (ルカ9:28~36)
先週は主イエスの生涯の転機を心にとどめてきました。主はこれから、いよいよ十字架の贖いのメシヤとしてご自分を明らかにしつつ歩まれます。今回の箇所は、その8日後のことです。日数が記されており、弟子たちにとっていかにこの出来事が印象的であったかを感じることができます。主イエスは弟子たちのうち三人をつれて山に登られました。主はいつも山でも祈っておられましたが、この個所では神の子であるイエスのお姿を明らかに現わされたのです。
●神の子イエス様のお姿
主はご自身神の子であることを明らかにされました。
①そのお姿から・・・イエスは祈りのうちに変貌されました。厳密に言えば、姿が変わったのではなく、本来の姿を垣間見せてくださったのです。
②そのお立場から・・・主の下にモーセとエリヤが現れました。モーセは旧約の偉大なユダヤ人のリーダー、エリヤは最も尊敬されている預言者でした。しかし、彼らはいなくなり「わたしの選んだ子」と父なる神の声がしました。主はモーセやエリヤとは全く別格の存在でした。
③そして永遠性です・・・モーセとエリヤは消えました。しかし、そこには主だけがおられたのです。主イエスは永遠の神の子として存在される方です。
●その主イエスに私たちは信頼して歩みたい
主イエスは神の御子としてこの地上に来られました。モーセやエリヤも偉大な人物でしたが有限的な人でした。しかし主は神の子として今も生きて、私たちを助けてくださる方です。「彼の言うことを聞け」(35)という父なる神の語りかけを受け止めつつ、私たちも永遠の神の子である、主の声にお従いして歩むことができれば幸いです。

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